1.歴史
当寺は約1300年前の養老二年(718年)に泰澄大師(泰澄神融禅師)によって開かれた「高野山真言宗」の寺院です。
泰澄大師は聖域として禁則の地であった霊峰白山を白山神(白山妙理大権現)に導かれて開山された高僧です。
白山の山頂で修行中の泰澄大師の元に再び白山神が十一面観世音菩薩のお姿で現れ、
「この白山のふもとから山川を越えて五、六里行ったところに粟津という村があり、そこには薬師如来の慈悲による霊験あらたかな温泉がある。しかしながら、まだ、だれ一人として地中深くに隠れたその霊泉のことを知らぬ。お前はご苦労ではあるが山を下りて粟津村へ行き、村人と力を合わせて温泉を掘り出し、末永く人びとのために役立てるがよい」
と告げられました。
霊告に従い粟津の地を訪れた泰澄大師は村人とともに温泉を掘り当てました。この時、そのお力に感嘆した住民の請いに応じて泰澄大師は首に掛けた掛佛薬師如来と自ら刻した聖観世音菩薩を守護仏として残され「泰應寺(たいおうじ)」と名づけられました。これが当寺の開創であります。
その後、中世期に戦火のため建物が焼失した時期もありましたが、
延亨二年(1745年)に僧来順によって再興、「養老山 大王寺」と号し現在に至ります。